長崎②

軍艦島なんて、行く機会ないなぁ、そんなに廃墟に興味もないしなぁなんて思ってましたが、急遽クルーズチケットも取れ、知床の事故があって以来ちょっとの波高でも上陸が難しいといわれてるみたいですが、すんなりと上陸してきました。笑

当日は午前中に軍艦島ミュージアムという博物館みたいなところで、スライドを見たり当時の模型や、インタビューなどの展示を見たり、VRで軍艦島を一足先に旅したり、しっかりと軍艦島とは、を勉強させてもらい午後に出発という流れでした。

正式名称は「端島」。島にそびえ立つ高層アパート群が遠くから眺めた時に軍艦のように見えることから通称『軍艦島』として呼ばれるようになったようです。

明治~昭和に海底炭鉱場として栄え、多くの人がこの島で生活。(東京都の18倍の人口密度)

昭和49年に閉山され、島民全員がこの島を離れてからは無人島となっており、現在は島の一部にしか上陸することができません。

軍艦島、知れば知るほど面白いのですが、1つ目に『日本初の鉄筋コンクリートのアパート』2つ目に『TVの普及率100%』3つ目に『世界一長い海底水道敷設』4つ目に『日本初の屋上庭園』5つ目に『日本一高い高層の小中学校と保育所』などなど、まだ他にもたくさんあるのですが、2つ目のTVの普及率ですが、当時炭鉱のお給料は高給だったため全国的に10%の普及率なのに軍艦島の家庭は100%なんです。でも、小さい島の中に高層アパートや高層の小中学校など所狭しと建っていて、今の都内の住宅地なんて比べ物にならないくらい陽当たりは無いし隣り同士は近いし、部屋は4畳半トイレ風呂無しに5人家族はざらで、、、という生活。

 

裕福なのか、そうでないのか、当時にタイムスリップしないと本当のところはわかりませんが、ミュージアム的には皆幸せだったと。。考えさせられました、色々と。。

 

ただ、こういった先祖のおかげで今がある事は確かなので、ほんとに歴史を知れば知るほど当時は大変だったんだな、と文明が発展してるから思う事であって、当時はそれがベストだったわけだから大変も何もないのかも知れませんが、自分達も未来の人間から見れば今の時代は大変だったんだなと感心されるんでしょうね。

 

時代は繰り返されるけど、やはり自分の人生は1回きりなので精一杯生きていかないとなと改めて感じる事ができました。

軍艦島行ってよかったです!!

 

 

シラカワ